日光。
大好きだ。
つい最近のように思いますが、栃木に来てもう5年が過ぎ云った。
最初は辛かった。兄弟4人の大家族で毎日のように喧嘩し、毎日のように遊んで育った。家に帰ると誰かが迎えてくれる。しかも買い物行って来い、掃除して、もしくは夕飯作ってとか何かしらの命令が耳に入る。これが普通、当たり前だった。
しかし、日本に来てすべてが変わった。
帰ると家に誰もいない、誰も迎えてくれない。家に入るととにかく暗い、暗い!
自分で電気を付け部屋に入る。静か、、、静か過ぎる! 怖くて、心細くてとりあえずテレビをつける。テレビ以外あたしと付き合ってくれる物何一つなかった、私の部屋には。
嬉しい事にテレビに時間設定機能が付いていた。テレビ付けたまま寝る。でなければ静か過ぎて、怖くて眠れなかった。朝目が覚めるとテレビが付いている。一人だと感じるのが怖かった。テレビが寝た後に消え、起きる前に付いてくれた。よくテレビを見ていた。
知らない言葉を調べたり、先生に聞いたりして、テレビのおかげで日本語も上達してきました。テレビがよく活動してくれました。テレビに感謝です。
学校が終わり家に帰る。真っ先に電気とテレビを付ける。着替えて夕飯の準備。一人だけの夕飯はなかなかのどを通りません。やっぱり家族と一緒の方がどんな料理も美味しく思った。
食事は何とか済み、後片付けしてテレビを見る。周りに誰もいない、何かが足りない不安感をよく感じていた。感じる度に泣いた。よく泣きました。泣きつかれて寝る日も多かった。
母国語で喋りたがった。日本語で喋るととても疲れていた。どう言うか、何と言うかを考えるだけで疲れていた。何も考えずに思ったとおりに喋りたがった。でも周りに誰一人モンゴル語できる人、モンゴル人いなかった。モンゴル語で喋れるのは家に電話する時だけでした。思いのまま喋りたがった、でも。。。
親に心配かけたくない。いろいろ喋ると心細さがばれてしまう。だからたくさんは喋らなかった。また国際電話もかなり高かったので自分からは月に2回しか電話出来なかった。
しかし、やっぱりモンゴル語が喋りたいという気持ちが強かった。日記を書くことにした。最初はまじめに書いた。毎日書いた。でも喋りたい。モンゴル語で喋りたい。一人で喋るときもあった。
日本に来て一ヶ月が立ちました。友達も出き、一緒に遊ぶようになり、少し楽になった。
やっと前期が終わった。最後の試験は木曜にでした。私は次の日、金曜日にモンゴルに帰った。一日でも早く帰りたがった。試験の結果を待てずに帰った。友達は言ってくれた。もし試験落ちていれば追試を受けるんだ、追試を受けないと留年するかも知れないよと。留年は嫌だった。また一年が増える、嫌だ。でも試験の結果は半月後だ。待てない。待つの嫌だ、早く帰りたい。帰りたい気持ちが強かった、追試より。試験の結果を待たずに帰りました。友達に追試の場合メールで知らせてくれるようにお願いした。帰りたいけど、やっぱり留年はしたくない、もし追試があれば日本に戻ることにして帰りました。でも心のどこかで追試の場合と思って教科書を持って帰り、夜読んでいました。やっと試験の結果が出る日が来た。友達からメールが来なかった。これはすべての試験に合格したということだった。嬉しかった。
家族と一緒。みんなで夕飯を食べる。普通のことだが私にはとても幸せでした。一人じゃない。親がいる、兄がいる、姉がいる、弟がいる、一人じゃない。さらにお兄さんの奥さんと子供がいる。夏休みぐらいは孫たちと一緒にいたと親が別荘を大きくした。さらに大家族になっていた。毎日遊んだ、いとこの世話もした。買い物、掃除、夕飯、選択など前に嫌だったことは今は何でもない、することが幸せでした。家事は全部自分でした。いっぱい喋った。モンゴル語が喋らなかった3ヶ月分を喋った。それ以上に喋ったかも知れない、とにかく喋った。
夏休みが終わり私はまた一人暮らしに戻った。また家が暗い。静か過ぎる。喋れない。夕飯は作りたくない、食べたくもなかった。パン、チョコ、ポテトチップス、ジュースなどで夕飯を済ませるようになった。ビール飲み始めた、タバコも。モンゴルから戻った一ヶ月はかなり落ち込んだ。毎日泣いた。しばらくして体に異変が出た。1ヶ月に5キロぐらいも太った。元からぽっちりしていた私は真ん丸になった。服も着れない、大きいサイズ買うようになった。それでも夕飯は作らなかった。パン、チョコ、ポテトチップス、ジュースの夕飯は続いた。
そんなある日友達があるものをくれた。青春18切符だった。
友達が:買ったけど使えなかったんだ、電車に5回使ってどこも行けるんだ、行きたい所あれば使ってね。金曜日だった。明日は土曜日、学校もない。どこかへ行こうと思った。
日光について何回か聞いたことがあった。しかし実際に見たことはなかった。行って見ることにした。しかし、日光ってどこにあるの?どうやって行くの?どれぐらい時間かかるの?いったい何があるの?質問だらけだ。その時部屋にネットが入ってなかった、スマホもなかったので、遅かったけど学校に行った。自転車を漕いだ。学校に着くと真っ暗だった。
インターネットの検索で日光と書いた。いろいろ調べた。行きかたも調べた。夜の11時ごろ帰りました。そのときは珍しくテレビ付けなかった。付けるのを忘れた。明日の準備だ。準備と言ってもたいした準備はない。心の準備と言っても良いかも。日本に来て初めての一人旅。
朝起きてバスで駅の向かった。那須塩原駅。駅から電車に乗り、宇都宮へ。宇都宮まで45分。宇都宮で乗り換え、日光線日光行きに乗った。これで目的地に付ける。すべて順調。行きかた、電車の時間を全部メモした。ずべてがメモ通りにいった。どきどきワクワクした。日光駅に着いた。しかしこれからどうするか、どこに行くかは調べてなたっか。一瞬戸惑った。
ここに来て戸惑ってもしょうがないからみんなが歩く方に自分も歩いた。結構歩いた。20分ぐらい歩いた人も増えた、多くなっていった。この辺には何かがあると思った。さらに歩いた。神社があった。名前も書いてあった。しかし読めなかった。知らない漢字だった。でも入った。入場券を買って入った。みんながこの神社を見に来ているに違いなかった。神社の中はあまり面白くなかった。何しろ漢字が読めず、意味も分からず、面白くなかった。外を出た。神社の周りの自然、景色は言うこともなかった。綺麗だった。とても綺麗だった。青く見える山々と川の音。落ち着く。いつまでもそこに居たかった。
一日中ぶらぶらした。夜帰ると疲れてすぐに眠れた。ぐっすり眠れた。これが日光の出会いだった。
この時から私は日光が好きになった。その後何回も行った、一人で。友達ともよく行った。週末になると行っていた。日光の自然の引かれた。とても綺麗。冬も春も夏も秋も。いくら見ても綺麗、飽きなかった。
2年生になってからはあまり行けなくなりました。友達とカラオケ、ボーリング、ドライブ行くようになり、一人の時間が減った。授業がハードのなってきたため友達とみんなで勉強する機会が増えた。毎日が楽しくなってきた。
やっと一人暮らしを楽しめるようになった。それからは4年間本当に早かった。いっぱい勉強し、いっぱい遊んだ。友達もたくさん作れた。モンゴルの高校時代からパソコンと仲良くなっていた我意があった。私は友達に情報処理の勉強を教え、友達が私の専門の授業を教えてくれた。お互いに教えていた。平日は勉強し、週末はドライブ。日光にもよく行った。一人では行けない華厳の滝、中善寺湖など行った。海も山のテーマパークもよく行った。 ブ~ラブ~ラと日光に行く。特に行く用事もなくブラブラと行っていた。
ここ2年間、とにかく忙しかった。日光にもなかなK行けなくなった。しかし心の中では日光に行きたい気持ちはいつでもあった。
つい最近、久々に日光に行った。一人になりたくて。。。行き場探して迷わず日光に行った。やっぱり日光は落ち着く。
今回も日光は綺麗だった。
大好きだ。
Osaka Nagoya.(photos)
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