10 April 2007 3 コメント By: Ariuka

Анх ингэж японд ирж байлаа

Үүнийг сонссон бас мэддэг хүн ч байж магад.
Миний мэдэх япон орон нэртэй зохион бичлэгийн тэмцээн. 2001 онд энэ тэмцээнд оролцож түрүүлж, ОСАКА д нэг сарын хугацаатай homestay хийх эрхээр шагнуулж ирж байлаа. Тэр үед бичсэн бичлэгээ хаана ч явсан аваад л яваад байдаг юм. Блогынхоо анхны бичлэг дээр тавий гэж бодон бодон ... Жаахан урт ч саатан уншаарай.

《私の知っている日本》

日本のおじいさんとおばあさんがかまわなくなるかもしれない.


2000年の調べによりますと日本総人口のうち14歳までの子供たちは15%しかありません。これはとても少ないということです。だから日本の政府は日本の将来を担う子供たちのためにたくさんのことをしています。日本は世界で一番発達した国であり、日本の子供たちは小さい時から一番新しいコンピューターゲームで遊んで、技術の進歩を知り、インターネット eメールで世界国々の子供たちと仲良くなる機会がたくさんあります。また人に必要な電気製品がたくさんあります。ロボットの友達もあるかも知れません。そんなたくさんの電気製品の中で育った子供たちは「人間機械」に変わってしまうかもしれません。これについてある日本人の話を良く覚えています。

そのひとは:
―日本の子供たちに必要なものはすべてがあります。しかし両親、おじいさん、おばあさんを愛する心はモンゴルの子供たちよりは少ない。またモンゴルの子供たちは何よりも両親のことを思っているのをみてとても驚きました。日本の子供たちはそうではないと話していました。
 この話を聞いて私も驚きました。両親は私たちを育てて良い人にするために一生をささげます。私たちが病気になったら両親は医者になったり、悪い点を取ったら先生になったり、夜遅くまで帰って来ないと眠らないで待っていて、いつも私たちのために心配しています。そうすると、日本の子供たちはなぜ両親のことを思わないのかなと思いました。


日本は世界で一番発達した国で、人々の暮らしの水準が平均して良い、したがって日本の子供たちはモンゴルの子供たちより自立しています。例えば、日本の子供たちは大学生になったら両親から離れ一人暮らしをしまし。モンゴルでは大学生になっても、さらに結婚しても両親と一緒に生活するひとが多い。だから日本の子供たちは両親、おじいさん、おばあさんをかまわなくなってしまうかもしれません。
モンゴルの子供たちは小さい時から家畜を相手にし、家畜をどうじょうしたり、愛したりして育ちます。だから両親、おじいさん、おばあさんを愛する心は小さいときから出来ています。 心というのは人間の動物、ロボットから区別する大切なものです。これがないとすればその人は人間ではありません。ロボット、あるいは動物のようだ。日本の子供たちは小さいときからコンピューターゲームと仲良くなって育っているから両親、おじいさん、おばあさんを愛することを忘れてしまうかもしれません。


これは日本だけではなく、発達が進んだほかの国々でもあるそうです。さっきのある晩ラジオでアメリカでロボットの子供が出来たということを聞きました。そのこども普通の子供と同じく泣いたり、歩いたりするなどいろんなことができます。これは子供の無い夫婦のために作られたそうです。はじめは夫婦はうれしくて幸せですが、年が立つにつれ、本当の子供が欲しがるに違いない。なぜかというとロボットの子供には心がないからです。ロボットの子供両親、おじいさん、おばあさんを愛することはできません。日本の子供そうなってしまうかもしれません